george101の長い一日

生後2時間半

深夜、私はパソコンの前にいた。
日付が変わり、3月23日木曜日である。
ブログを更新していたわけではない。
画面に表示されていたのは姓名判断のサイト。
何をやっていたのかといえば、当然、子供の名前を考えていた・・・のではない。カミさんへのプレゼン資料を作成していたのだ。
じつは、子供の名前については、昨日、京急で帰っているときに、これだ!!と思うものが浮かんでいたのだ。
帰宅するや否や、スーツを脱ぐのももどかしく、パソコンの電源を入れ、姓名判断的にどうか調べてみた。結果は、望むべく最高のものであった。
ここ数ヶ月、主に3つのサイトを併用して、思いついた名を片っ端から姓名判断していたのだが、3つとも素晴らしい結果が揃い踏みということはなかった。
しかし、ついに、出揃ったのである。もう、この名前以外には考えられない。
しかし、できれば、カミさんにも十分に納得してもらった上で名付けたい。
強行採決は、絶対に避けたいところである。
そこで、私の思いついた名前が、如何に素晴らしいか、他の名前との比較資料を鋭意作成していたのだ。
満足のいくものが出来上がったのが、午前2時30分。布団の中で、出来上がった資料を再チェックし、眠りについたのが午前3時。
目覚ましは6時半に設定した。
3時間半は眠れる目算だったが、午前5時33分、私の携帯のメール着信音が鳴り響いた。
寝惚けていて再び寝かけた私は、一瞬の後、「生まれたのか!」と飛び起きた。さて、内容は・・・


件名:無題
本文:早く来て腰さすって・・・2日間、陣痛で寝ていない


カミさんからの悲痛なメールであった。
しかし、全日空のストの影響もあり、始発便は欠航。その煽りを受けたのか次の便は満席。結局予約できたのは9時発10時着の便だったのである。カミさんに事情を告げるメールを打ったあと、目覚ましをかけていた6時半まで寝なおすわけにもいかず、いそいそと身支度を開始した。
7時過ぎに自宅を出て、上大岡発7時27分の特急に乗り込む。蒲田で乗り換え8時過ぎに羽田へ着いた。
ストの影響で遅れが出ていないことを確認し、ホッとしたものの、空港に10時、病院に11時ごろ到着で出産に間に合うのかという不安はぬぐえない。
果たして、予定通り11時ごろ病院へ到着してみると、義母が陣痛室で、カミさんの世話をしてくれていた。
陣痛室から出てきた義母の説明では、分娩室に入るのは午後になる見込みとのこと。そして、このとき、義母の口から驚愕の事実が告げられた。
陣痛室へは、家族一人しか入れず、しかも、交代不可というルールが、この病院にはあったのである!
・・・従って、私は待合室でボーっとすることとなった。
朝から飲まず食わず、かつ、睡眠不足のせいもあり、意識が朦朧とするなか、「カミさんも飲まず食わず、かつ寝ずの状況なのだから、赤ん坊が生まれるまで飯は食うまい。」と思っていた。
しかし、12時30分を過ぎると空腹に耐えかね、待合室から10歩ほどの距離のレストランでカレーを食べた。妙にケチャップみたいな味の強い、むしろハヤシライスのようなマズいカレーだが、なぜかルーがたっぷり。誓いを破った者への罰と受けとめ残さず食った。この時点で13時。
おなかが一杯になったので、待合室で、舟を漕ぎはじめる私。
睡魔との苛烈な戦いがいつ果てるともなく続く。
そして、ヒュプノスの抱擁に身を委ねかけた14時、ついにその瞬間は訪れたのだ!
(関西弁イントネーションで)「○○さん(私の名前)、無事に生まれましたよ!おめでとうー。」義母の声だった。
実は、13時45分、私の長男は既に誕生していた。
赤ん坊の泣き声のあと、看護師さんが「元気な男の子ですよ!」というドラマは、待合室ではなく分娩室に隣接する陣痛室で起こっていたのだ!当事者は義母(笑)。まさに事件は現場で起こっていたのである。陣痛室、分娩室は隔離区画になっており、待合室には赤ん坊の声が聞こえるかたちにはなっていなかったからだ。
ちなみに、公式な誕生時刻は13時42分だが、義母の時計では13時45分(NHKで合わせていた)であり、我が家のオフィシャルタイムは13時45分である。
さて、2時間は、カミさんは絶対安静とのことで、義母に連れられ、お好み焼き「江戸川」へ。創業57年の老舗で、豊中、池田あたりでは、一番おいしい(義母談)店とのこと。
生地につけられた下味、生地の焼き加減、ソースのブレンドとも、確かにうまかった。
そうこうしているうちに、15時45分、もうカミさんも病室に戻されているころである。
この病院のルールでは、病室に入れるのは赤ん坊の父親だけなので、義母は先に帰った。
ナースステーションで、「あの、本日出産いたしました○○(うちの苗字)の夫ですが、家内は病室に戻っておりますでしょうか?」と伺うと、賑やかに「○○さんの旦那さん来はりましたよ、もう病室にもどってはる?」と確認の声が何人かに飛び、一人の看護師さんが案内してくれた。
隔離区画になっている病室の入り口で、アルコール消毒の上、入室するきまりを説明され、実施。いざ、病室に入ってみると、カミさんがベッドに上に座っていた。
意外に平気そうだ。
「ようがんばったな。」と労ったのち、子供の様子など聞いた。
携帯のカメラで撮った写真も見せてもらった。
さて、体調もよさそうだったので、意を決し名前について話をすると、なんともあっさりOK。
意中の名前の資料を見せるだけで、納得してくれた。
望外の結果だが、他の名前を切るために作った資料は、無用の長物と化した・・・いや、しかしこれでよかったんだよ(笑)。
閑話休題。この病院では、生まれて24時間は新生児室で管理される。パパの面会もガラス越しである。一度カミさんの病室を出て、我が子と初めての対面である。新生児室のガラスのところまで、ベビーベットが寄せられ、覗き込んでみると・・・
寝てやがった(笑)
それはそれは気持よさそうに。
携帯でアップにされた画像を見ていたので、第一印象は「うはー、ちっちゃいんやなー。」だった。手や口元がモゴモゴ動いているのをみて、なんか、涙が滲んできた。
ひとしきり寝顔を眺めた後、再びカミさんの病室へ。
ああ、もちろん、携帯で写真を撮るのも忘れなかった。
病室へ戻って、「でかした。」ともう一度褒めた。
あまり長居してはカミさんも疲れるだろうからと、帰る。
阪急池田から川西能勢口、そして、能勢電鉄で最寄り駅まで行き、カミさんの実家へ。
義母が作ってくれた夕食を頂くともう、眠くて仕様がなかった。
居間のコタツで一眠り。
起きると、義弟が帰っており、「おめでとうございます。」と言ってくれた。
時間は0時ごろ。
風呂に入って、用意していただいた布団で寝た。
これが、私の子供が誕生した一日の出来事であった。